趣味悠々

思いついたままに書いてます。 Blogの方針は更新を楽しむ事。

思考の分解・自分自身との対話

分かる人には分かるし分からない人には分からない感覚かもしれない。

 

無思考になる時間をできるだけ減らしていきたいのだがこれがなかなか難しい。その時間を無理やり活字で埋めてみたりどうにも仕事が手につかず無為に足掻いていたりする。解決策があるのか分からないのだが何も手に付かずに時間だけが過ぎていく状態は絶望的だ。焦燥感が募っていき精神的に摩耗していく。これは何なのか治せるものなのか知りたい。世の中は広い無能であると認めその感覚を活字に起こしてみて世の中に問うてみることにする。

 

勉学も大切だが集中できずに無為に時間だけが過ぎていくその時間に意味があるのか・・・頭の中に文字列として音声で知覚されながら素通りされていく様な感覚で果たして知識として還元されているのか・・・バカの壁ではないが記憶の引き出しにあるつっかえ棒の気まぐれ加減に苛々する感覚は減らせるのか思考プロセスを簡略化させる事は可能なのか目下足掻いている最中である。

 

興味深い疑問に「何であいつはああなんだ」「馬鹿・無能」がある。

何か仕事上やプライベートでミスをするとその都度反省をし自分を振り返る様にしているが無意識化にミスの原因となる何かに気付けなかった自分に対して許せない感情が湧きあがる。後で振り返りその時の自分自身の状態を振り返ると脳みそにぽっかりとした空白の時間が広がっていた時間にミスをしていた様な気がする。優秀であるとはなんであるのかまたその感覚に陥ったら活字に起こして記憶に残してみようと思う。実用書ばかりが幅を利かせ逆に忘れられがちな負けている感覚、形に残し広めていくその先に何があるのか?見落としがちな感覚。その状態に陥らない為の治療方法は?処世術は?そんな疑問に答えてくれる本があるのなら読んでみたい。

 

何でもうまくいく時というのは感覚的に周りの状況がすべて思い通りに操作できている様な錯覚に陥る。分かる把握出来るという状態の思考プロセスは僕の場合活字では言い表せないもっと感覚的なものだった。グループ全体の判断処理機関の様な感覚で判断をし指示を出しその通りに事が運んでいく。

なぜその状態になれたのか自分では分からない。論理的思考とはなんぞや。脳に言葉と数字で対話し続ける事に意味があるのか知りたい。